baby_rainy_dailyのブログ

1年後、全部忘れて恥ずかしくなる

揺蕩う

 

本当の気持ちには誰も近づけないし、触れられない。


どうしても他人に会うと見栄を張ってしまう。予防線を張って、保険をかけて、時には嘘をついてしまう。

 

分かったような顔をされると、似た者同士だねと笑う。その時は本当に相手のことを似た者なのかもしれないと思うこともある。

家に帰って1人になると、そんなまやかしで騙すことはできなくなってしまう。弱さとコンプレックスに塗れた、醜い自分が天井を見つめながら部屋で横たわっている。体からまったくエネルギーが湧いてこない。

 

弱い自分を俯瞰して受け入れて諦めているつもりが、心の奥底に残った微かなプライドが理想を追い求めている。他の人と違うなんて気持ちはとうの昔に捨ててきたはずだ。でも、全く動かないくせに、奥の奥の心がこんなんじゃダメだなんとかしなきゃいけない、と表舞台に出てこれず藻掻いている。

 

生きている価値はないけれど、死ぬ価値もない。死にたいと呟いて、なんとなくそれに浸ってのうのうと生きてる奴なんてごまんといる。本当は死にたいんじゃなくて、満足した生き方が出来ていない自分を受け入れられないだけなんだ。

 

俺が浅はかだと馬鹿にしてるあいつは、努力してそいつなりの成功を掴もうとしている。あいつを浅はかだと馬鹿にしている俺は、全てを投げ打って破滅に向かう覚悟なんてないくせに、理論ばかり並べて逃げまくり、覚悟できないまま破滅に向かっている。

 

昔から常々、幸せな時間以外不幸だと思ってきた。今の自分は不幸だと感じる資格すらない。生きている実感なく、気付いたら何者かの手によって日常が食い潰されていて、ゆらゆらと俺のような誰かが漂っている。

 

もうすぐ23歳になる。

逡巡

 

辛いことから逃げ続けることは間違っているから、正しい道に進もうと考えた。

何と比べて間違っていて、正した先の道ってなんだ。考えてみればやりたいことなんて昔から何もなかった。自分のできる範囲で人からよく思われたい、その一心だけだった。

 

親がやらせてくれた勉強がよく出来たから、中学までは勉強ができることをかっこよさに据えた。小さな世界で頭がいいと言われている自分に満足した。
大学の付属高校に行ってからは勉強ができることにかっこよさを感じなくなった。普通の人より持久力があったから陸上部に入った。(長距離って何が楽しいの?って聞かれて適当に答えていたけれど、運動が苦手な自分の出来るスポーツがそれだけだったから陸上を選んだだけだ。運動部に入らないとカッコ悪いと思ったから、が質問の答えになる。)

大学に入って運悪く顔を褒められ始めてから、人からよく思われたい、モテたいという思いが加速した。意気地無しな僕ができる範囲で遊び人を演じて、確かにその地位を確立した。これまでと異なり、努力と結果の伴わない、嘘ばかり混じったあまりに弱い綱を頼りに、自分自身を納得させていた。

先日、少し好意を持っていた人に「なんか老けたよね、別に顔はタイプじゃない」と言われてあっさり夢から醒めた。
暴飲暴食と乱れた生活習慣を続けていた僕は確かに老けてしまったし、そんなものを頼りにしようとしていた自分に呆れ、笑いすら込み上げてきた。

 


また、次のステージに進もうと思った。

でも何もなかった。


無理をして色んな人に嘘をついている自分は偽りの自分だから、虚像を捨ててありのままでいようと思った。そんなものは初めからなかった。背伸びをし続けることこそが僕の生きるモチベーションであり、僕自身だった。メッキを剥がしてみたら中身が何も無かった。

先日、大人について
「目の前の生活を送る中で人によって大なり小なりの努力をして、勝手に歳をとり、勝手に生活が変わって、勝手に考え方が変わっていくのだ。歳を取っても幸せな人は幸せだし、不幸な人は死にたくないから生きてるだけなのだ。」
と書いた。

今の僕は不幸な人から見たら決して不幸ではないし、むしろ幸せな方だと思う。だからこそかもしれないが、死にたくないと思うほど浅はかな人生に未練がなかった。

 


これについて詳しく話すのは野暮なので書かないが、友人と遊んだ帰り、1人逡巡した後の早朝に僕は覚悟を決めてビルを登った。しかし、屋上に通じる扉は閉まっていた。仕方なく諦め、丁度よさそうなところを探して歩いたが、時間が早かったこともありどこも開いてなかった。住民や僕の家族に迷惑はかけたくなかったのでマンションは避けた。

 

ようやく良い感じの雑居ビルを見つけた。エレベーターが動くまでまだ時間があったので、ビルの前で少し眠って待つことにした。友人たちが僕のことで悲しんでる姿があまりにも想像つかなくて気になったが、死後の世界は無だから関係ないななどと考えていた。

 

すると工事現場のおじさんに突然声をかけられた。
「おい、なにやってんだ。ちょっと待ってろ。」
おじさんは車から傘を持ってきてくれた。
「これやるから気をつけて帰んな。」

 

その日は雨が降っていたので、きっと雨宿りをしてると思ったんだろう。でも、無関係の優しさに触れて張り詰めていた糸がぷつりと切れてしまった。


めちゃくちゃ死にたくなかった。悲しんでくれるかもしれない友人や、泣きじゃくる母親の姿を想像して涙が止まらなくなった。どこまでも器の小さい自分が情けなくなった。

 


家に帰って布団に潜った時、生きていてよかったなと思った。
しかし、目覚めると何も状況の変わらない、いつも通りの朝になっていた。

 

大人

 

12月になったらしい。なにか新しい曲を聞きたいなと思って、逆に昔のプレイリストをシャッフル再生してみた。そこで耳に残ったのが季節外れのGalileo Galileiの「夏空」という曲。

 

『好きだった歌が響かなくなったな 誰のせいでもない 僕のせいでもないんだろう』

 

この歌詞の前に大人になったフリという言葉があるけれど、こういう感情が湧くのは本当に大人になったからというよりも、むしろ今が''大人になったと感じる時期''だからなんだと思う。

 

大学1年生の初め頃、クラスに好きな人ができて一緒に池袋に遊びに行った。何故かカップルシートで貝殻のベッドのようなところに並んで寝転びながらプラネタリウムを見た。そしてその後、デートの正解が分からなかった僕は慣れたふりをしてロクシタンカフェに入った。

出てからしばらくブラブラ歩いていると「実は今日話したいことがあるから30分だけカラオケ行こう」と言われた。相手の深刻そうな面持ちから、この時僕は勝手に告白されるかもしれないと思っていた。が、予想は裏切られた。むしろ全く逆の内容だった。同じクラスかつ僕の高校の友達でもある男から告白されて、返事を迷っているものの承諾しようと思っているという話だったのである。

期待との落差で愕然としていた僕は、今更好きだと言っても意味がないという思いからあまり言葉が出ず、肯定も否定もはっきりすることができなかった。

そしてここからだ。延長した30分もあっという間に過ぎて、出る雰囲気になった時に僕は言った。

「今の気持ちを歌った曲があるから、最後に一曲だけ聞いてほしい。」

 

僕は銀杏BOYZの「夢で逢えたら」を泣きそうになりながら熱唱した。

 

『君の胸にキスをしたら君はどんな声だすだろう
白い塩素ナトリウム 水色の水着を溶かすなよ

君を乗せた宇宙船が夕暮れの彼方へ消えて
光るプラネタリウム いっそのこと僕を吸いこんでよ

君に彼氏がいたら悲しいけど
''君が好き''だという それだけで僕は嬉しいのさ

ah 夢で逢えたらいいな 君の笑顔にときめいて
夢で逢えたらいいな 夜の波をこえてゆくよ』

 

歌い終わったあと気まずい空気が流れて、お互い口数少なくそのまま解散した。その後は、歌に心を打たれて気持ちが変化し僕のことが好きになるというような展開も特になく、普通にその子は告白された僕の友達と付き合った。

 

僕はこのエピソードを別に懐かしくて良い思い出話として出したわけではない。本当にただのめちゃくちゃ気持ち悪い勘違い野郎の話だと思っている。自分がもし女だったら何を1人で盛り上がってるんだと普通に引くだろう。

でも少なくとも当時の僕は、この状況で銀杏BOYZの「夢で逢えたら」を歌うくらい自分に酔えていて、このタイミングで歌うことがカッコイイと思っていたということである。

今はもう絶対に歌えない。まず恥ずかしいという気持ちが湧くだろうし、もっと冷静に対処できるはずだろうし、まず夢で逢えたらの歌詞に書かれているような大きくて衝動的な感情になること自体がもうない気がする。(そもそもこの時も心の底からそんな感情が湧いていた訳ではない。)

 

ここで最初の話に戻ると、これは大人になったということではなく、大人になったフリをしているんだと思う。''大人になったと感じる時期''なんだと思う。もしかしたらこの先大きくて衝動的な、誰かを思って爆発するような感情が湧くことがまだあるかもしれない。

本当に大人になった瞬間というのは 、カラオケで夢で逢えたらを歌った僕の気持ちにも今の僕の気持ちにもなることがなくなり、全てを懐かしくて良い思い出だなと感じるようになる時ではないだろうか?

 

今の僕には、今聴いてる曲が響かなくなって、昔話ばかりするような大人になることになんの意味があるのか分からないし、それはあまりにもつまらなくて寂しいことのように感じる。大人が誰しも学生時代の思い出話をするのは今よりも当時が刺激的で楽しい毎日だったからだし、死にそうな顔で電車に乗っているオジサンの生きている意味も本当に分からない。

そして、たぶん意味なんて別にないんだとおもう。目の前の生活を送る中で人によって大なり小なりの努力をして、勝手に歳をとり、勝手に生活が変わって、勝手に考え方が変わっていくのだ。歳を取っても幸せな人は幸せだし、不幸な人は死にたくないから生きてるだけなのだ。

要するに僕は今を肯定することで、幸せな大人になるための努力から逃げているだけなんだと思う。幼稚園生が毎日遊んでいられなくなるから、小学生になる意味が分からないと言っているのと本質的には同じなのかもしれない。

でも、それでも今だけは大人になりたくないと声を大にして言いたい。みんな思ってるありきたりの台詞。

 

池袋で遊んだ時のことを思い出したついでに、その子と撮ったプリクラを久しぶりに見返してみた。僕の前髪があまりにも短くて恥ずかしくなった。

 

11月の曲

今月聞いている5曲

 

①退屈 / odol

https://youtu.be/DR4siMuwTy4

 

退屈さえ僕のものだったのに、って感覚分かる。今は退屈な時間すら自分のものじゃない感じがする。自分のために何かを頑張ったり、誰かのことを思って一喜一憂するような時間があるからこそ、何もしてないふとした瞬間に退屈だなって思うのであって、変化のない日常の中で生まれる退屈は、退屈であって退屈でないと思う。こう書くと厨二病っぽいけど。

 

②君はダイヤモンドの輝き / andymori

「君はダイヤモンドの輝き、僕だけが愛した人」

直球。これから誰が君を愛したとしても、僕だけが。andymoriのアルバムは光が一番好きかも。

 

③ミルク / 羊文学

https://youtu.be/TrF380r0qIs

「全部偽物だったということ だけど幸せだったということ 君は思ったよりも弱くって僕が必要だったということ それが幸せだったということ ねえ偽物だったのかい? それでいい それでいい それでいいの」

 

思い出は邪魔です。

 

④茜色の夕日 / フジファブリック

https://youtu.be/jSFbotPJH3M

 

聞いてて辛くなる。何もない帰り道、これ聞きながら帰ると現在進行形で何もできない自分の無力感というか情けなさで死にたくなる。死にたいって言葉を簡単に使うな。

このライブ映像が1番感動する。

 

⑤111511 / downt

https://youtu.be/SkMwcCX7Qbo

「誰かの期待に期待していた 僕が守るものはなんだっけな 甘えた心で今まで どれくらい失ったんだろう」

「孤独と愛を背中合わせに 誰かのイメージの中で きみは創られていく」

 

自分のことはもう諦めてる。それは自業自得だし、失ったものは戻らないし、自分でなんとかするしかない。でもきみが知らない誰かにイメージづけられて知らない人のようになっていくのはやっぱり寂しい、なぜなら俺が1番わかってるから!でも本当は寂しいんじゃなくて、自分でなくてもよかったと分かってしまうことが怖いだけかもしれない。きみにはきみの人生があるし僕には僕の人生があって、自分の存在価値を他人に委ねるのは良くない。「この手がふやける前に未来を変えるのさ」って言ってくれてる。

 

〈プレイリスト〉

https://music.apple.com/jp/playlist/11/pl.u-2aoqXjDcNLrZq65