baby_rainy_dailyのブログ

1年後、全部忘れて恥ずかしくなる

逡巡

 

辛いことから逃げ続けることは間違っているから、正しい道に進もうと考えた。

何と比べて間違っていて、正した先の道ってなんだ。考えてみればやりたいことなんて昔から何もなかった。自分のできる範囲で人からよく思われたい、その一心だけだった。

 

親がやらせてくれた勉強がよく出来たから、中学までは勉強ができることをかっこよさに据えた。小さな世界で頭がいいと言われている自分に満足した。
大学の付属高校に行ってからは勉強ができることにかっこよさを感じなくなった。普通の人より持久力があったから陸上部に入った。(長距離って何が楽しいの?って聞かれて適当に答えていたけれど、運動が苦手な自分の出来るスポーツがそれだけだったから陸上を選んだだけだ。運動部に入らないとカッコ悪いと思ったから、が質問の答えになる。)

大学に入って運悪く顔を褒められ始めてから、人からよく思われたい、モテたいという思いが加速した。意気地無しな僕ができる範囲で遊び人を演じて、確かにその地位を確立した。これまでと異なり、努力と結果の伴わない、嘘ばかり混じったあまりに弱い綱を頼りに、自分自身を納得させていた。

先日、少し好意を持っていた人に「なんか老けたよね、別に顔はタイプじゃない」と言われてあっさり夢から醒めた。
暴飲暴食と乱れた生活習慣を続けていた僕は確かに老けてしまったし、そんなものを頼りにしようとしていた自分に呆れ、笑いすら込み上げてきた。

 


また、次のステージに進もうと思った。

でも何もなかった。


無理をして色んな人に嘘をついている自分は偽りの自分だから、虚像を捨ててありのままでいようと思った。そんなものは初めからなかった。背伸びをし続けることこそが僕の生きるモチベーションであり、僕自身だった。メッキを剥がしてみたら中身が何も無かった。

先日、大人について
「目の前の生活を送る中で人によって大なり小なりの努力をして、勝手に歳をとり、勝手に生活が変わって、勝手に考え方が変わっていくのだ。歳を取っても幸せな人は幸せだし、不幸な人は死にたくないから生きてるだけなのだ。」
と書いた。

今の僕は不幸な人から見たら決して不幸ではないし、むしろ幸せな方だと思う。だからこそかもしれないが、死にたくないと思うほど浅はかな人生に未練がなかった。

 


これについて詳しく話すのは野暮なので書かないが、友人と遊んだ帰り、1人逡巡した後の早朝に僕は覚悟を決めてビルを登った。しかし、屋上に通じる扉は閉まっていた。仕方なく諦め、丁度よさそうなところを探して歩いたが、時間が早かったこともありどこも開いてなかった。住民や僕の家族に迷惑はかけたくなかったのでマンションは避けた。

 

ようやく良い感じの雑居ビルを見つけた。エレベーターが動くまでまだ時間があったので、ビルの前で少し眠って待つことにした。友人たちが僕のことで悲しんでる姿があまりにも想像つかなくて気になったが、死後の世界は無だから関係ないななどと考えていた。

 

すると工事現場のおじさんに突然声をかけられた。
「おい、なにやってんだ。ちょっと待ってろ。」
おじさんは車から傘を持ってきてくれた。
「これやるから気をつけて帰んな。」

 

その日は雨が降っていたので、きっと雨宿りをしてると思ったんだろう。でも、無関係の優しさに触れて張り詰めていた糸がぷつりと切れてしまった。


めちゃくちゃ死にたくなかった。悲しんでくれるかもしれない友人や、泣きじゃくる母親の姿を想像して涙が止まらなくなった。どこまでも器の小さい自分が情けなくなった。

 


家に帰って布団に潜った時、生きていてよかったなと思った。
しかし、目覚めると何も状況の変わらない、いつも通りの朝になっていた。